土谷三島神社

市指定天然記念物の杉の木がある(目通り6.27m、樹高45m)。川内地区では一番大きい。
秋には、境内にあるイチョウの紅葉も楽しめる。
また、「やなぐい(矢を入れて携行する道具)」が、市指定有形文化財に指定されている。

三奈良神社

推古天皇2年(西暦594年)に創祝と伝えられており、その後複数回の再建を経て今の姿になっています。

大興寺

市指定天然記念物である山ももがあります。
高さ15m、目通り2.4m、東温市内の山ももの中では最も大きなものです。
常緑樹で、4月頃に開花して6月頃に直径1~2cmの暗赤色の実を着けます。

上福寺

同じ松瀬川地区にある五柱神社の別当。
一角には、市指定天然記念物である、樹齢500年以上の楠(クスノキ)があり、その枝振りが非常に広く、遠方から見ても大きいと分かる存在感があります。
目通り5.5m、樹高29m。絶滅危惧Ⅱ類に定められている「フウラン」が着生しており、9月に白い花を咲かせています。

大通庵

大通庵は、河野氏配下の武将だった戒能氏一族の庵で、一族のお墓も残っています。
一角にある「大通庵エドヒガンザクラ」は、推定樹齢200年以上の桜で、春になると他の桜に先駆けて淡紅色の花を咲かせ、高台にあるため遠方からでもよく見えます。
一つ一つの花の大きさが36mm前後と大きく、このようなエドヒガンザクラは県内では類を見ないと言われています。高さ12m、目通り1.5mの、市指定天然記念物です。

天満神社

西暦888年、当時讃岐守であった菅原道真公が隣国風視察の際、志津川に立ち寄られました。
また西暦901年、道真公が九州筑紫へ左遷される際、再び志津川に来られて、里人等と一宿を共にして名残を惜しまれました。
この時、腰掛けて休息されたという「菅公腰掛け石」が神社内に残っています。
道真公を深く崇敬していた河野安家が、太宰府天満宮より志津川に道真公の御分霊を勧請。伊豫志津川天神社を創建しました。
伊豫天神二十五社の一つで、江戸時代には、松山藩主の祈願所と定められ、久米郡御代官の御祈祷所と定められていました。
神社内には、市指定天然記念物のチシャノキもあります。

揚神社

素戔嗚尊(すさのおのみこと)がまつられており、拝殿には36歌仙の額が掲げられています。
神社内にある楠(クスノキ)は、推定樹齢700年、市指定天然記念物。
目通り7.9m、樹高36mもあり。日本一の蒲生のクスノキよりも樹高が6mも高い。市内最大の巨木。

金毘羅寺

「金毘羅さん」として親しまれている松尾山金毘羅寺。
隣接の惣河内神社と併せて、市内最大規模の鎮守の森をもつ、森林浴が心地よい癒しスポットとなっています。
長寛年中の創立で称明寺と称されていましたが、慶長年間、加藤嘉明公によって「金毘羅寺」と改められました。
寺の本堂の前には嘉明公の手植えといわれる4本の杉がそびえ、その歴史を物語っています。
4本杉は、高さ39m、目通り3.7m・3.5m・3.3m・3.3mの4本で、市指定天然記念物。

漣痕化石

「漣痕(れんこん)」とは、波の跡の化石のことで、リップルマークとも呼ばれています。
約7,000万年前の化石で、縦約50m、横約20mの岩肌の表面に波の跡を残しており、この地が海底であったことを物語っています。
地殻変動で、海だったところが陸になり、地層が南に50度傾いてこの化石が顔を出しました。

日浦 ムクノキ双樹

根元から2本に分かれた大きなムクノキ。
すぐ近くに古民家があるさま、個性的な枝振り、となりのトトロに出てきた大きな木を彷彿とさせます。
市指定天然記念物。北側幹周5.34m、樹高19m。南側幹周3.36m、樹高17m。

源太ザクラ

桜三里の名所。樹齢推定300年、高さ17m、目通り2.88mと2.15mの2本で構成される、市指定天然記念物。
桜三里で最も古い桜で、「源太桜」の由来は、松山藩士、矢野五郎右衛門源太が藩の囚人を使役し、中山川沿いに桜を植えた際に、苛酷な労役にたえかねた囚人が「桜三里は源太が仕置き、花は咲くとも実はなるな」と怨嗟の声を残したという故事にちなんだもの。
4月の第一日曜日には、「源太桜まつり」が行われ、バザーや餅まきなど様々な催し物が開かれます。どっしりと地に構えた大きなエドヒガンザクラをひと目見ようと、毎年大勢の観光客が見物にやってきます。